世界を構築してみせた

>キールED後のお話です。ハヤキーハヤっぽい。
>キールが日本に来てから数年経ってる感じです。

 とある休日の午後、僕とハヤトは気だるげに部屋でおとなしく過ごしていた。正確に言えばだるそうなのはハヤトだけであり、たまに思いついたように口を開くハヤトに相槌を打ちながら、僕は本に目を通している。
 ハヤトが語る言葉はいつだって興味深いものだった。けれど、それはこちらの世界に僕が来た当初の話。こちらの世界に来てから数年経っている今としては、特に物面白いこともなく、ただただ聞き流すことしかできなかった。時というのは、本当に恐ろしいものだ。
 しかし次にハヤトが口を開き呟いた言葉は、僕にとって久しく驚かしいものだった。

「例えば俺が本物の魔王だったとしたらさあ」
「………」
「キールは俺のこと、どうしてたの?」

 ベッドの上で足をばたつかせながら、ハヤトはそう言った。落ち着きが無いといつもなら一喝するところだけど、今はそれどころではなかったから。
 こちらの世界に来てから、リィンバウムの話をする機会はぐんと減った。寧ろ皆無になった、という方が正しいかもしれない。語る必要も、教示する必要も無くなったからだ。 ハヤトの、新堂家の一員として暮らしていたから。キール・セルボルトとしてハヤトと話すのは、とても久しい気持ちだった。

「………そんなことは、しないさ」

 そう言えば、ハヤトはへえーと興味なさそうな返事をした。ここでもし殺していた、と返せば、ハヤトはきっとおどけた様に怖いなあなんて言うんだろう。
 だけど実際、きっと殺しはしていないと思う。あり得たとすれば、その逆。僕がハヤトに、殺されていたであろう未来。ううん、ハヤトではなく、ハヤトの中にいる魔王に。本来僕が媒体となることで、呼び出されていたその存在に。

「でもさあ、俺はキールのこと、殺そうとしてたかもしれないよ」
「その時はその時さ」
「抵抗してた?召喚術でこう、どかーんと」

 ハヤトは手を開いて、懐かしいその仕草をしていた。
 やっぱりハヤトも気付いていたらしい。自分の中に魔王が居たらきっと、僕のことを殺しかねないという事実に。まあ多分そうだろうし、否定はしない。ハヤトの身体で好き勝手されるのをきっと僕は快く思わないし、何より、死に物狂いで止めようとしていたことだろう。

「君がリィンバウムに来てしまった原因は僕にあるわけだから、きっと報いは受けていたよ」
「死ぬことが報いなのか?」
「魔王に解放される見込みがない君を差し置いて、生きてなんていられないさ」
「ふーん」

 キールって俺のこと大好きだな。そうかもしれないね。そんな短いやり取りの後、ハヤトはこの話題にも飽きたのか、枕に顔を埋めてあーあーと意味のない言葉を発していた。
 
 仮にハヤトが魔王であったなら、僕は彼に殺されることに抵抗なんてしない。それが魔王の意志であったとしても、僕の心の弱さでハヤトを巻き込んでしまったのだから、一人でのうのうと生きるなんて、そんなのは絶対に無理だと思う。
 むしろ彼の手で殺されるのは、どんな形であれ本望だっただろう。そう思って僕は本を閉じ、手をぐっと握り締めた。
 父上に命令されるがままに会得した召喚術も、今となっては無意味に思える。父上に褒められるのが嬉しくて、懸命に練習していた頃が自分にもあった。だけど、自分が大人になるにつれ、魔王召喚の儀式が近付くにつれ、僕は恐ろしくなった。自分の因縁と、父上の願望が。
 知れば知るほど恐ろしくなり、涙した夜も少なくはなかった。こんな不安を父上に打ち明ければきっと僕は、幻滅されてしまう。そんな思いさえも余計に僕を追い詰め、結局僕は、儀式に失敗してしまったのだけど。
 だけど後悔なんて微塵も感じてはいなかった。あのまま魔王が召喚されていたとしても、ハヤトが魔王であったとしても、その時は運命として受け入れるつもりだったから。最も、今こうして僕が平和な暮らしを得ているのは、本当に奇跡だとは思うけれど。

「なあ、キール、後悔してない?」
「なにをだい?」
「日本に来たことを」

 愚問だよ。そう答えれば、そーですねーと、また興味なさげなハヤトの声がした。そしてまた沈黙が続き、閉じていた本を開く。自分が読んだ行を探していると、後ろからベッドのスプリングのギシッという音がした。そしてその数秒後、ハヤトが僕に後ろから抱きついていた。
 いつもの悪ふざけだろうか、そう思ってハヤトのことを怒ろうとした。が、僕は気付いた。ハヤトの手が、身体が、小刻みに震えていることに。

「………ハヤト?」

 フラットで過ごした日々は短いものだった。だけど、そこで僕が学んだものはあまりにも多過ぎた。そしてその中の一つである、気を使う、という行為は、僕にとって未だにこうも親しみ深いものとなってしまった。
 優しい声で声をかけると、ハヤトの手に力が入る。本を閉じ、ぽんぽんとハヤトの頭を撫でた。

「夢、見たんだ。ちっちゃいキールがオルドレイクに、召喚術を見せてる夢」

 幼い日々の記憶にあまりいい思い出は無いけれど、ハヤトにそう言われ、そういえばそんなこともあったかもしれないという気になった。けれど、どうしてハヤトがそんな夢を見たのだろう。
 いや、でも、ハヤトならあり得るのかもしれない。誓約者であるハヤトなら、どんな可能性だって秘めているのだから。

「キールが俺の家で、こんなふうに生活してくれるなんて、夢にも思わなかった。だけどこれは、現実だろ?」
「ああ、そうだな」
「すげー幸せなんだ、俺。だけど、キールの全部を奪って、キールに全部捨てさせてまでして、俺だけ幸せになっていいのかなって」

 不安なんだ。そう震えるハヤトはひどく小さく見えて、下手に声をかけることができなかった。
 僕は口下手だから、言葉にして相手に思いを伝えるのはあまり得意じゃない。だけど、これだけは言えるんだ。

「僕も、幸せだよ」
「………え?」
「こんな生活ができるなんて、夢にも思ってなかったから」

 先ほどのハヤトの言葉に重ねてそう言えば、ハヤトは不思議そうな顔で僕を見ていた。だから精いっぱい僕は、笑顔を浮かべた。
 確かに僕は全てを奪われ、全て捨ててこちらの世界に来た。尊敬していた父上は死に、唯一の居場所であった無色の派閥も失った。そしてフラットにいる意味も無くなり、ハヤトが居なくなってからの毎日は、とてもとても苦痛だった。
 だからこそ、全てを捨ててでも僕はハヤトに会いたかった。彼のそばが、僕の居場所なんだと気付いたから。唯一得意だった召喚術も、こちらの世界に来てしまえば無意味になった。今まで幽閉された暮らしをしていたせいで役立てることも少なかったけれど、今はそんなことはなくなった。

「本当に、幸せなんだ」

 もう一度、自分にも言い聞かせるようにそう言うと、今度ハヤトは真正面から僕に抱きついてきた。まるであの日、リィンバウムからハヤトが帰ってしまった時のように。ぎゅっと力任せに、だけど大切そうに僕を抱き締めてきた。
 こうしてハヤトと距離が近いのも久しい気がする。初めて出会ったあの日から、ハヤトは背が伸びた。それから顔付きも大人になったし、前ほど無茶をしなくなった。こうしてハヤトのことを知れているのが嬉しくて、同時に変化に気付けることも嬉しかった。

「キールのこと、ずっと好きだったんだ」

 ごめんな。なんて、なぜか謝るハヤトに腹が経って、ハヤトに比べれば格段に弱いだろうけれど、ハヤトのことをぺしんと叩いた。何か言いたさげに頬を膨らましているハヤトを見て、笑いが込み上げてきて、思わず笑ってしまった。
 全てを捨ててでも会いたかった僕の愛しい人。救われたいという、僕の傲慢な願いを叶えてくれた人。そんな世界で一番優しい、大好きな人に、僕は笑顔で言った。僕もハヤトのことが好きです、と。