ハッピーエンドロール

>キールEDから数年後の話です。

 いつも心のどこかで叫んでいた気がする。助けてほしい、と。
 自分の生活が平常でないと気付いたのは何時頃だっただろうか。日々召喚術の勉強をし、周りとは違って一際長けていた自分の才能は両親からとても褒められていた。嬉しそうに笑う母も、僕を褒めてくれる父の声色も嫌いではなかった。むしろそれが嬉しくて、褒められたくて召喚術の会得をしていたと言っても過言ではないだろう。
 けれど気が付けば、僕の才能は常人では決して辿りつけないであろう領域にまで至っていた。それを父はとても喜んでいて、まだ何も知らなかった僕はそんな父の喜びとまだ見ぬ期待にこたえたい気持ちでいっぱいだった。
 でも、その父の笑顔と、僕を見る母のどこか哀れむような目に、僕は気付いてしまった。でもその時にはもう遅く、魔王召喚の儀のための宝玉に、その犠牲に選ばれたのは僕だった。

 なんて味気ない人生だったんだろう。皮肉なことに雲一つない空を見上げながら、僕はそう思った。周りを見渡すと、数十人は居るであろう召喚師が僕を見つめている。彼らは何を思って僕を見ているのだろうか。可哀想?それとも不合理に出来た化け物のような存在がいなくなることを、喜んでいるのだろうか。
 何度も本で見たことのあるその魔法陣の中心に立っている僕は、特に何かを思うことも無かった。生きたいと取り乱しても今更未来は変えられないことぐらい知っている。父と母は、僕をこのためだけに、育てていたのだろう。そんな目で見られていたと思うと、あの生温かい視線を思い出してぞっとした。
 そして時間が来ると、召喚師が一斉に杖を掲げた。この儀式がうまくいったとして、その犠牲となったものがどうなるのかはよく分からないと言う。魔王に身体を乗っ取られるのか、それとも一生尽きることのない苦痛を味わう羽目になるのか。僕にはその程度しか想像できないけれど、静かに目を瞑って風を感じた。
 きっとどちらにしろ、僕が助かる可能性なんてないんだ。重々承知していたその事実を、今この場で改めて痛感した。もっと、広い世界を見てみたかった。こっそり派閥の人から与えてもらった本には、僕が知らないような風景がたくさん映っていた。出来ることならこの目で見て、もっとたくさんのことを学びたかった。
 びゅうう、と強い風が突然起こり、マントが捲れる。とうとうこの時が来たんだ。恐怖とも言えない感情に生唾を飲み込んだ。ドクンドクンと心臓が嫌な音を立て、冷や汗が流れ始める。今までどんなことが合っても決して泣いたことはなかったけれど、不思議と僕の目には涙が溜まり、ぎゅっと強く目を瞑った。
 口に出してはいけない言葉が僕にはあった。強い人間であるのならば、決して誰かに助けを求めてはならないという。だから僕は、一生その言葉を口にすることはないんだと思っていた。だけど、僕はその瞬間、目を開けて叫んだ。




「……っ!」

 勢いよく身体を起こした。辺りを見回し、それが夢であることを確認する。久しく見るその夢のせいか、未だに身体の震えが止まらなかった。
 今になってこんな夢を見るなんて。そんなことを自嘲気味に思っていると、部屋の扉が開けられる。そしてそこに立っていたのはハヤトだった。

「おはよ、キール」
「おはようハヤト……学校は?」
「今日から無いんだってば!」

 嬉しそうにそう言うハヤトの笑顔を見て、昨日散々言われたことを思い出した。僕がハヤトの家に来てから約一年。ハヤトが言うに、高三の二月は最後に残された遊びの時間らしい。僕にはよくわからないけれど、嬉々と話すハヤトを見て悪い気はしなかった。
 着替えを済ませ、ハヤトの母上と父上が居ないことから自分が寝坊をしてしまったことに気付いた。あんな夢を見たせいか、あまり食事を摂る気にもならなかったけれど、ハヤトの母上に申し訳ないと思って朝食を無理矢理捻じ込んだ。

「平和だなー」

 ソファーで項垂れていると、隣に座っていたハヤトがそう言う。そうだ、こういう日常を、平和だと言うのだ。そういうことを身をもって知っている僕は、そうだねとハヤトに返した。

「キール、俺もう高校卒業するじゃん?」
「そうだね」
「就職するじゃん?」
「ああ」
「そんでさ、落ち着いたら一人暮らししようと思うんだ」

 突然告げられたその言葉を聞いて、思わず目を見開いた。何気ない様にハヤトは言っているけれど、僕にとっては聞き捨てならない言葉だ。
 ハヤトに会うために、半年かけて漸く名もなき世界にやってきた。ハヤトとの毎日はとても楽しくて、僕はいつからか派閥での日々を、リィンバウムであった全てを忘れ去るほどには幸せだった。
 一人暮らしというものがなんなのかくらい、僕にだって理解できる。ハヤトはまた、僕の目の前からいなくなると、言っているのだ。しかも今度は前のようにずっと遠くに行くわけでもないだろうから、無茶を言って追いかけるなんてそんなこと、僕には出来ない。

「……それは大変だな」

 やっとの思いで出た言葉はそんなものだった。こんな時、素直にものを言えなくなってしまう自分の性格を恨んだ。
 だけど本当は怖かった。僕のわがままで、ハヤトを困らせてしまうのが。きっとハヤトは困ったように笑うだろうけど、僕は知っている。僕のわがままで、ハヤトに迷惑をかけてしまうと言うことくらい。前だって、僕が離れたくないなんて言ってしまったから、ハヤトに泣きそうな顔をさせてしまったじゃないか。

 「そう、大変。俺みたいに家事スキルゼロの男だけじゃな〜」

 そう笑い飛ばすハヤトを見ても、うまく笑い返すことができなかった。朝見た夢を思い出す様な心許なさに、また気分が悪くなってくる。ハヤトの笑いの後ろに、父の薄笑いが見えてくるような気がした。

「それでだ!」
「……なんだい?」

 突然切り出す様に言い出すハヤトに、少しだけ尖った口調でそう返した。するとハヤトは視線を漂わせながら言う。

「ご飯作ってくれる人募集」
「……は?」
「家の掃除してくれる人募集」
「……」

 その後もハヤトは言葉を続けた。おかえりって言ってくれる人募集、でも出来れば、俺のことをちゃんと理解してくれてる人がいいなあ、なんてことを。
 恥ずかしそうに横目で僕を見ているハヤトを見て、どうしてか僕まで恥ずかしくなってきてしまう。鈍感だなんだとハヤトに昔はよく怒られていたけれど、そのおかげで今は少しだけ、そういう言葉の意図が掴めるようになってきている。

「ハヤト……その、それは」
「まあキールじゃないとダメなんですけどね!」

 そう言うとハヤトはソファーの横にあるクッションを掴み、それに顔を埋めていた。髪から覗いている耳は真っ赤になっていて、声を掛けようにもなんと言えばいいのかわからない。

「おれいますごいかっこわるい」

 声が裏返っているよ。そう指摘をするとうるせーと怒られた。そんなやり取りに思わず笑ってしまい、ハヤトの肩に手を乗せる。そしてぐいっとクッションを引っ張った。

「本当に僕なんかでいいのかい?」

 先ほどの不安が嘘のように思えた。そして思い出す。あの時も、押し潰されてしまいそうなほどの不安から僕を救ってくれたのは、ハヤトだったのだ。
 あの時ハヤトが僕の声に答えてくれたから、僕を助けてくれたから、僕は今こうして生きている。その事実は一生忘れないであろうものであり、僕がハヤトの傍に居たいと決心した一番の出来事。
 だから今度は、僕がハヤトの声に応える番なんだ。

「ハヤト」

 そう名前を呼べば、ハヤトがゆっくりとクッションから顔を上げる。落ち着いたのか、赤みを帯びていたであろう顔はいつも通りになっていた。そしてにこりと笑いかけると、ハヤトはまた恥ずかしそうに眼を伏せた後、僕に微笑み返してくれた。
 ぎゅっとハヤトに抱きつくと、ハヤトにしては珍しくぎこちない力加減で抱き締め返された。すると目が合い、僕からハヤトに優しくキスをしてみせる。だけどやっぱり慣れなくて、恥ずかしくて、すぐに唇と離した。

「俺、本当に、キールじゃなきゃダメなんだ」
「うん」
「俺とずっと一緒に居てください」

 ぎゅっと強く抱き締められ、苦しそうな声を出すと、ごめんとハヤトに謝られた。ハヤトのその言葉が嬉しくて、泣いてしまいそうだった。
 結局僕は、最後までハヤトに助けられっぱなしなのだ。そう心内で思う。だけど、僕を助けてくれたのが、ハヤトでよかった。ハヤトじゃなかったら、きっとこんな幸せな毎日は、遅れなかったと思うから。
 僕は奇跡というものを信じない。あり得ないと思っていたことでも、あり得てしまったのならそれが必然になってしまう。だけど、今だけはその奇跡というものを信じないことも無い。

「僕も、ハヤトとずっと一緒に居たい」

 困らせてしまう。そんな不安もあったけれど、僕はその言葉を口にした。するとハヤトは嬉しそうににっこりと笑い、わかったと明るい声を出していた。そして僕も、精いっぱいに微笑み返した。