本当は縋りたかった

 僕の愛した人は、ひどく弱い大人だった。
 自らが傷つくことを一番に恐れ、自分が辛い目に遭わない道をいつだって探して、見つけて、選んでいた。どうしてそんなことをするのかと聞くと、それが一番楽だからだと自嘲気味に笑っていた。自分で自分が弱い人間だと、自覚しているのだ。
 だけど僕はそんな弱くて愚かな彼が好きで、愛しくて、大切に思える。ううん、正確に言えばこれが愛である保証なんてないのだ。
 たまたま彼の弱いところを僕が見てしまい、彼に縋られ、それからは毎回のように僕が慰めるようになっていた。愛というよりは、同情の方が大きいのかもしれない。それでも僕は、彼の一番でありたいから。彼の一番の理解者でありたいから。だから僕は彼の弱さを利用して、傍に居るだけなのかもしれないけれど。
 それだっていいじゃないか。僕は彼の支えになれて幸せだ。彼だって、傷つかずに済む。一人にならずに済む。これはきっと幾つもある選択の中で、一番報われる選択なのだと自分に言い聞かせた。

「ただいま」

 ドアが開く音がして、後ろを振り返る。ブラウンの髪、シエナ色の瞳。僕の大切な人、アルヴィンが立っていた。僕はにこりと頬笑むと、おかえりなさいと言った。

「今日は早いんだね」
「ああ、予定してた取引が中止になってな」

 長い長い旅が終わって、アルヴィンはリーゼ・マクシアとエレンピオス間を繋ぐ商人をしている。道のりは険しいもので、あーだこーだと愚痴を言いながらもユルゲンスさんと二人で頑張っているようだった。
 僕はと言えば、源霊匣の研究をしつつも医学者としての毎日を送っていた。そして早かれ遅かれアルヴィンの傍に誰かいなければならないことは明確で、僕らは同棲と呼べるかわからないけど、とりあえず二人でマンションの一室を借りて住んでいた。
 仕事柄僕は家に帰らないこともしばしばだけど、そんな時はアルヴィンから電話がかかってきたりする。そして僕は思うのだ、ああ、やっぱり彼は、弱い人だと。


「ご飯にする?お風呂にする?」
「じゃあジュードで」
「バカなこと言ってないの」

 にやにやしながらそういうアルヴィンに一喝すると、僕は席を立って食事の準備をし始めた。アルヴィンと住み始めてから、料理の腕は格段に上がっている気がする。それこそミラが居れば、きっと褒めてくれるんじゃないかって思うくらい──

「……………あ」

 カチャ、と音を立てて、カーペットの上にお皿を落とした。ふと我に返ってお皿を確認する。よかった、割れて無かった。そうして胸を撫でおろしていると、部屋で着替えているかと思ったらその場に居たアルヴィンが言った。

「また、ミラのことか?」
「……………ごめん」

 僕がぼーっとしたりするときは、大概ミラのことを考えている。それはアルヴィンも気付いているみたいで、僕がこうしてたまに無意識にぼんやりしている時は声をかけてもらうようにしてもらっている。
 わかってる。もうミラはいない。彼女の愛した世界のために、人間のために、僕は世界を支えていかなくてはならない。そうやって自分に幾度と言い聞かせているのに、やはり考えてしまうのだ。彼女がいたら、と。
 僕はミラのように強い人間ではない。物事に関して恐怖も感じる。自分可愛さに、彼のように、退けたくなる道だってある。だけど、それではミラとの約束は守れない。
 そうして考えていくうちに、手足が震え、キッチンのカーペットに座り込んだ。そんな僕の姿を見て、アルヴィンが駆け寄る。震える僕の身体を支えながら、大丈夫か?と優しく問う。

「ごめん、ごめんね……アルヴィン」
「いいんだよ……べつに」

 ぎゅっとアルヴィンに抱きつけば、優しいキスをされた。
 いいんだよ、なんて言いながら、アルヴィンは自分がどんな顔をしているか気付いている?僕は心内でそう思い、くすっと気付かれない程度に笑った。
 もう大丈夫だよと言ってアルヴィンから離れ、食事の支度を始めた。その間にお風呂、入っていいよ。笑顔を浮かべてそう言えば、わかったと言って素直にアルヴィンはお風呂場に向かった。

 食事の支度をしながら思い出した。先ほどの、僕を抱き締めたアルヴィンの表情を。とても辛そうな表情をしていて、それでも強がっていた。僕のために。
 僕がミラのことを思い出したり、話したりすると、アルヴィンは決まってそんな表情をする。理由なんて知ってる、一度は自分の都合のために見殺しにし、挙句レイアを撃って僕まで殺そうとしたから。それ以外にも理由はあるだろうけど、きっと一番は、僕の一番が変わることを恐れているんだろう。

「………人間そんなに簡単に、変われるわけないのにね」

 好きだった、ミラのことが。使命に忠実に、己の命さえも顧みないその姿勢。ミラの全てに惹かれ、今だって本当は、彼女のことが。
 だけどミラはもういない。それを誰より受け止めなきゃならないのは、僕自身なのだ。だから僕は、その思いをどうしたらいいのかわからなくて、アルヴィンに頼った。
 彼は僕を必要としている。ミラはあんなふうに泣かないけど、あんなふうに話しかけたりしないけれど。ううん、僕が今愛しているのは、アルヴィン、だけなんだ。

 本当のことを言えば、アルヴィンのことが羨ましい。自分の弱さと向き合って、逃げないと決めた彼のその意思が。だけど僕にはそんな勇気も、強い意志も無い。だからアルヴィンを利用して、彼の弱さに、付け込んで。

「子供にばっかり、気を遣わせるなんてね」

 ダメな大人だ。そうは思うけれど、そんな彼が羨ましいから、そんな彼が居ないと僕は生きていけないから。だから今日も嘘を吐く。僕の愛している人はアルヴィンだと、彼もまた自分に言い聞かせているのだろう。ジュードになら、本当の自分を否定されることはない、と。本当に、情けない大人だ。