色褪せた世界だけしか残せません

>分史世界でアルヴィンと鬱ジュードくんが会うお話です。
>特殊設定ばっかりなのでご注意。

 「ここは──ハ・ミルか?」

 ミラが訝しげにそう言う。そして俺たちは辺りを見回すと、確かにここはハ・ミルのようで、甘ったるい果物の匂いがした。
 分史対策室です。お決まりのようなその言葉から始まる電話が原因に、俺たちは分史世界へとやって来ていた。レイアがのんきにお腹空いちゃうね!なんて言っているけれど、村中には人影、それどころか生活の痕さえも見つからない。そして俺気付いた。この世界はきっと、俺がミラを見殺しにした後の世界だ、と。

「よーし!じゃあ張り切って時歪の因子を探すよっ!」
「レイア、あんまり気を張り過ぎるなよ」

 お人よしなところは誰かにそっくりなルドガーも、最近はレイアの扱いに慣れてきたようで。後ろで繰り広げられるそんな会話を聞きながら、俺は深いため息を吐いた。というより、レイアはこの世界がどこの時系列なのかは気付いていないのだろうか。
 そんな不安が頭を過り、人のいいレイアのことだから、気付いていないフリをしているようにも思える。でもそれ以上に不安なのは、やっぱり。そう思い、後方に見える小屋をちらりと見た。

「ふむ……ここに時歪の因子はいないようだが」
「じゃあおたくらは先に行ってていいよ。俺はも少しここ見ていくから」

 手を振ってそう言えば、ルドガーが心配そうな顔をしていた。平気平気、そう笑って見せれば、それなら構わない。と、そうミラが言い、俺だけがハ・ミルに残ることになった。
静かな村は、浮世離れしているように思えた。ここは分史世界、正しい歴史の中の世界で無いのだから、充分現実的ではないのだけど。そう思いつつも、俺は小屋の前に立っていた。
 ドアノブに手を掛けると、ドクンドクンと心臓がいやに大きな音を立て始めた。だってこの世界は、何億何千、もしかするとそれ以上にある世界の中の一つに過ぎないのだ。ここにあいつがいる確立なんて。
 頭でわかっていても身体は震えていて、それでも思い切って扉を押し開けた。何の物音もしないことを確認し、ゆっくりを目を開ける。

「…………………アル、ヴィン?」

その声のトーンに、思わずゾクッと背筋が冷たくなった。

「ジュード……」

 そこには、ベッドの上で小さく蹲っているジュードが居た。その姿を見るに、恐らく、まだ俺が殺しに来ていないように思える。
 まともな生活をしていないのか、虚ろな目に病的なほど白い肌は、目を背けたくなった。だけどおかしい、ジュードの傍にはレイアがいたはず。看護師見習いのレイアであれば、生死の境目を理解しているはずだし、ここまでジュードを放置するとは、あの性格からは考えられない。つまり、この世界は。
 自分でも吐き気がするほど嫌な予感しかしなかった。ベッドで小さくなっているジュードは、しらばく俺をじっと見つめた。そして、諦めた方に頬笑む。

「また僕のこと、殺しに来たの?」

 優しげな声に、思わず身体が震えた。また、ということは、この世界の俺はもうジュードを殺しに来たことになる。エレンピオスに帰るための、たった一つの方法を。
 だけどおかしい。俺がジュードを殺しに来たあの日に、ジュードは確かに前のジュードに戻っていたはず。こんな虚ろな目をしていなかったし、そもそもこんなところに居るはずがない。
 全く目の前の状況が理解できず、ジュードに声をかけることさえもできなかった。いや、本当のことを言えば、怖かった。ジュードに怯えられるんじゃないかと、拒絶されるんじゃないかと。だけどジュードは一向に口を開かず、全てを諦めたような表情で、舌を俯いているばかりだった。

「………レイアだけじゃ、飽き足らずに?」
「………は?」

 それ以上に口を開こうとしないジュードを見て、血の気が去っていくのを感じた。
 この世界で俺はもう、ジュードを殺しに来ている。それでも尚ジュードに活気は戻っておらず、それどころかあの時見た状態よりもひどいことになっていて、レイアは、いない。それらすべてが意味すること、それは──この世界の俺がレイアを殺しているということだった。
 もちろん信じたくない仮想だ。だけど、そう考えれば全ての辻褄が合って、今ここにジュードが存在している理由もわかる。それは至って、簡単な話だ。俺がもし仲間を殺してしまったとしたら、その場に踏みとどまる勇気なんて無いから。自分の目的もすべて投げだし、きっと逃げることだろう。
 そう思うと余計に虚しくなって、目の前のジュードに対する罪悪感で胸が押し潰されそうだった。ジュードもジュードだ。大切な幼馴染みを殺した犯人が目の前に居るのに、どうして殺そうとしないのだろう。
 いや、きっと、今のジュードにはなにを言っても、なにが起きても、関係無いんだ。

「ねえ、アルヴィン、」
「………どうした?」
「僕のこと、殺していいよ……」

 ジュードは感情の籠っていない声でそう言った。俺が知るジュードとはかけ離れた存在で、未だに信じ難くて、けれどこんな世界も存在していたのだと思うと、泣きたくなった。
 彼をここまでにしてしまったのは俺の責任。この世界の俺は、ジュードから全てを奪ったのだ。ミラを見殺しにし、自分を支えてくれていたという大切な幼馴染みを目の前で殺した。そしてあまつさえ、ジュード自身も殺そうとしていたのだから。
 許しを扱いても、許されざるものだと言うことは知っている。だけどこれは分史世界、どうせ壊される世界なら、と。そう考えると目の前のジュードを見ていて無性に腹が立った。
 大切なものを奪っていった犯人を目の前にし、自分を殺していいと言うなんて、やっぱりどこの世界でも、ジュードの心の弱さは健在しているようだった。
 だけど俺にはどうすることもできなくて、ただ、その場で立ち尽くすことしかできなかった。早くこの世界が壊れてしまえばいいのに、と。ただ一心にそう願うだけだった。