2.14

「ありがとうございましたー!」

 店の出入り口に向かってリシェルがそう言い、その直後に忙しなくキッチンへと駆けこんでくる。無論忙しなく動いているのはリシェルだけでなく、ルシアンはもちろんのこと、今日に至ってはミント姉ちゃんやポムニットさんさえも店を手伝ってくれていた。そして最近ようやく仕事に慣れてきているギアンも、疲労が見える笑顔を浮かべて接客をしていた。
 事の発端は今一番忙しそうにしていて文句を垂れているリシェルの提案だった。二月十四日、世間一般ではバレンタインデーであり、好きな人にチョコを渡して思いを伝える。みたいなそんな風習がある日だった。
 男である俺には無関係なその日は、いつも通りに店を開いて営業をする予定だった。しかし俺の店が繁栄し始めたのをいいことに、リシェルがこう言い出した。

『あんたチョコレート作りなさいよ!当然のように美味しいんだし、世の中の不器用な女の子のお手伝いなんてロマンチックじゃない!』

 嬉々としてそう言うリシェルを見て、俺やルシアンは視線を合わせて却下した。普段でさえとんでもなく忙しくなっていると言うのに、どうして倍の忙しさになるようなことを好き好んでやらなければいけないのか、と。普段通りに営業していても、喜んでくれる人が居れば俺はそれでよかったから。
 しかし想定外なことに、ポムニットさんやミント姉ちゃんもリシェルの意見に賛同したのだ。これだから女ってのはよくわからない。呆れてそう思ったけれど、嬉しそうに話を進めている三人の笑顔を見ても断固として拒否を出来るほど俺も非道ではない。
 僕も手伝うからね。そう笑顔を浮かべてくれているルシアンにありがとうと言い、財布役のギアンを呼び付けた。そして三人は嬉しそうに声を揃え、ありがとうございます!と俺に言ったのだった。


「くっそー…」

 チョコを作れるのは俺しかいないわけで、俺は朝からずっとキッチンに立ってチョコを作り続けている現状だった。いつもならもうすぐお客さんが止むところだけど、今日はそんな様子さえも垣間見えない。しかも今日はチョコのみの限定販売、という名目で店をやっているだけあって、とにかく女性客が多い。普段のお客さんもいるだろうけど、いつもより多いのは俺の腕を信じてくれている人が多いからなのだろうか、そう思ったけれど、現状はそれどころではない。

「ライ、とりあえず午前の営業はこれくらいにしないかってみんなが言っているよ」
「ああ…もうそんな時間か」

 時計に目をやると、とっくに午前は過ぎていた。とりあえず並んでいるお客さんには午後の営業時間を伝え、俺たちはぐったりとした様子でイスに座り、項垂れていた。ああ、でも、まだ俺は作り続けないとなんだよな…。
 そして一旦全員を家に帰し、また午後に集まるという話になった。午後といっても夜だから、チョコ目当てのお客さんは止むことだろう。今はそう信じることしかできなかった。
 まだ疲れてはいるけれど、少量ではあるけれどギアンと一緒に昼食を取り、再びキッチンへと立った。予想以上のお客さんに、材料を多めに買っておいてよかったと安心する。そろそろチョコを見るのも嫌になってきそうではあるが。

「ライ!」

 ぎゅっと後ろから抱きつかれる。無論この宿に今いるのは二人しかいないから誰だというのはすぐにわかる。けれど怒る気にもならず、なんだよとだけ言っておく。

「僕にチョコは?」
「あぁ!?」

 ギアンから言われたその一言に思わずドスの利いた声が出た。
 確かに、事実俺とギアンは付き合ってたりする。なんでだ、とか経緯の話はどうだっていい。ギアンに好きだと言われ、俺も悩みに悩んだ末に好きだと返した。ただそれだけの話だ。
 それにしたって恋人っぽい雰囲気になることなんて滅多にないし、かといってそれっぽいことをしたことが無いわけじゃない。一応は、してはいる。だけど基本的にギアンが俺に甘えてくる形が多く、俺からギアンに、というのは数えきれるほどしかない。というかあっただろうか。
 でも違う、今俺が言いたいのはそう言うことではないのだ。

「ギアン…お前なあ…!」
「え?」
「このクソ忙しい時にお前にチョコなんか作るわけねーだろ!!いいから休んでろ!!」 

 そう怒声を張り上げると、ギアンは冷たいなあなんて笑いながら再びフロアに戻っていった。午後から営業だと言っても時間はもう少ししかない、ギアンの甘えに付き合ってる時間なんてないんだ。そう俺の中で割り振り、目の前の作業に集中することにした。営業内容が違ったって俺の作るものを楽しみにしてくれてる人がいるんだ。半端なことなんて出来るか!




「つかれた…もう動けねー…」
「お疲れ様」

 涼しい顔をしながら俺の髪を撫でるギアンに、お前もだろ。という。けれどライほどじゃないよと言われ、俺の方も黙ってしまった。まあ、実際そうだろうな。
 午後の営業も終わり、片付けなどをしていたら時間はとっぷりと夜になっていた。みんなくたくたに疲れた様子で帰っていき、はしゃいでいた女子三人ももちろんのこと疲れてはいたけれど、当人たちにとっては今日の成果は満足なのか、来ていたお客さんの話をしながらも楽しそうにしていた。
 
 ベッドから起き上がり、ぐっと伸びをする。また明日も早起きして料理の仕込みをしなくてはならない。疲れてはいるけれど、それとこれとは違うのだ。
 ちらっと隣に居るギアンを見ると、彼もやっぱり疲れているのか、目を瞑ったままかくんかくんと肩を揺らしていた。眠いんなら寝ればいいのに。そう呆れ、ちゃんと自分のベッドで寝ろよと肩を叩く。するとギアンはまた俺に、ぎゅっと抱きついてきた。でも先ほどとは違い、どちらかといえば寄り掛かるような形だ。

「眠いんだろ、無理すんなって」
「僕はライがいてくれれば頑張れるからいいんだよ…」

 寝惚けてるんじゃないのか。そう思う様なことを口に出しているギアンを目の前に、思わず溜め息が出る。時計を見ると、まだギリギリ日付は変わっていないようだった。

「おい、ギアン」
「……なんだい?」

 顔を上げたギアンの口に傍に置いておいたチョコを突っ込むと、ギアンは驚いたように目を丸くしている。そして居た堪れなくなって、目線を逸らしてしまった。

「普通に店で売ってるのと同じだけど、それで我慢しろよ」
「………」
「わざわざ作ってやったんだからな!」

 あの後、いろいろ考えたけれどやっぱりギアンが可哀想になり、俺は作り終わったチョコを一つだけ抜いて部屋に置いておいた。売れ残るだろうか、そう思っていたけれど、見事に完売してしまったものだから取っておいてよかったと胸を撫で下ろした。
 ギアンはもっと、恋人として特別な何かを望んでいたのかもしれないけれど、今の俺にとってはそれが精いっぱいだった。そもそも男が男に渡すなんてことを考えてもいなかったし、いっそ当日でなければ作ってやらないこともなかったのに。

「……ありがとう、ライ!」

 嬉しそうににっこりと微笑むギアンを見て、思わず言葉を見失った。だけど一応何か言わなくてはいけない、そう思った末に出た言葉はとっとと寝ろ!なんて素っ気ないものになってしまった。でも実際顔を見ていたら恥ずかしくてダメだと思っていたから、俺はベッドに潜り込んだ。
 あんなものでも、ギアンはとても喜んでくれていた。いや、偏にあんなものとは言うけれど、手を抜いているわけではない。だけど俺が言いたいのはそういう問題じゃなくて、たった一つでもギアンが喜んでくれたのが、嬉しかったのだ。
 敵の頃のギアンは色んな意味で冷たくて、掴みどころがなくて、俺は大嫌いだった。一生分かり合うことなんてできない、そう思っていたのに、こうして一緒に暮らしてから色々とわかったことがある。小さなことでもとても喜んでくれるとか、案外気が利くとか、寂しくなると、すぐ俺に甘えてくるところ、とか。
 
 もっと知りたいと思うことはたくさんある。だけど、今はとにかく頭に入れておかなければならないことがあった。あんなものでも喜んでくれたから、来年はもう少し凝ったものを作ってあげよう。そうしたらギアンは、もっと喜んでくれるだろうか。